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カンボジアで天使に出会った話 第13話 ~銀行口座を開けたくて~

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K島氏に連絡を取ると、彼とシロクマさんはカンボジアの銀行で口座開設をしていた。
俺も銀行口座が出来るなら作っておこうかなという軽い気持ちはあったが、具体的には何も考えていなかったので渡りに船とばかりにK島氏とシロクマさんの銀行口座開設ツアーに便乗することにした。

ここまで全く現地情報については書いてこなかったが、カンボジアは王国である。
かつてはクメール王朝があり、12世紀に建設されたといわれているアンコールワットは王朝時代の名残である。
しかし、中世の大航海時代には隣国のベトナムなどと同様に西洋人に利用され、19世紀にはフランス帝国の保護国となり、いわゆる暗黒時代を過ごしてきたが、第二次世界大戦末期に日本軍によるフランス領インドシナ解放がもたらされた後に独立を果たすなど、諸外国による影響を受け続けてきた歴史がある。
その後もベトナム戦争の影響を受けての内戦の勃発や、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが目指す原始共産制の実現をお題目に大量虐殺が行われて100万人から200万人とも言われる多くの命が奪われた。
1993年に国連監視下による民主選挙が実施され、新たに制定された憲法によって現在の立憲君主制となり、ノロドム・シハヌークが国王に即位した。

公用語はクメール語で、クメール文字は全く読める気がしない。
通貨はリエル(KHR)が発効されているものの、都市部では米ドルでの決済も当たり前に行われており、どちらも使えるという印象だ。
ローカルな店舗での決済で米ドルを出すと、おつりは大体リエルで戻ってきてしまうので、まずはリエルを使ってみる事をお勧めする。



さて、銀行に話を戻そう。
カンボジア最大手の銀行と言えば、アクレダ銀行だ。
しかし、カンボジアの最大手銀行であっても、世界銀行ランキング500にはランキングしていないので、日本の地銀よりも評価は低い事になる。
数年前は金利が7%だったので、一時期は日本からの口座開設者も多くカンボジアを訪れて定期預金を組んで帰って来ていた。
日本人向けのジャパンデスクがあるプノンペン商業銀行なども有名だが、俺たちはとりあえず最大手のアクレダ銀行で口座開設を試すことにした。

訪れたのはホテルから一番近い支店で、外見は極めて地味なものの、黄色い看板が目を引いた。


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なんのアポもない状態での突撃だったので、とりあえずどこから入ればいいのか分からなかった。
というのも、ビルの入り口は駐車場のようになっており、看板は見えるものの、俺たちが想像していた「銀行の入り口」のようなものは見つからなかったからだ。


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とりあえず、入り口にいる守衛に「銀行に行きたいんだけど、ここで合ってる??」と聞いたところ、「そうだ!ここは銀行だ!」言われたので、何となく入り口っぽい階段を上がって建物の中に入った。




が、入るなり「何か御用でしょうか?」と行員らしき女性に咎められた。



口座開設したいんだけど・・・・



と告げると、「あぁ、それならここじゃないから、奥の部屋に向かって。」と建物の奥を指さした。
確かに、階段上の部屋は小さく、まるでレンタカー屋の受付のような感じだったので、銀行には見えなかったので、ある意味でホッとした。

言われるがままに奥の部屋に入っていくと、なんとも古めかしい雰囲気の対面カウンターと待合室のようなスペースがある。



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入り口付近にあったコンシェルジュデスクのようなブースで「口座開設したいのですが」と伝えたところ、「いいわよ。じゃあ、ここに座って。」ととりあえず座らされた。



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なんともあっけなく話が進むもんだと思っていたら、どうやら違うらしい。



じゃあ、労働許可証を出して。


えっと・・・、持ってないんですが、何とか口座開設出来ませんか?



え?出来るわけないじゃない。
早く出して。



・・・持ってないです。
友人から労働許可証が無くても口座開設が出来ると聞いてきたので、ここに来ましたが、どうしてもダメですか?



ダメよ。



とあっさりと撃沈した。


郵送でも口座開設出来るぐらいだから相当緩いのだろうと思っていたのだが、支店や行員によって対応が異なるのだろうか。
口座が無くても困らないのだが、またカンボジアに行った際には別の支店で聞いてみたいと思う。


そういえば、どうでもいいのだがカンボジアではアクレダと読まず、「エーシーリーダ」と呼ぶらしい。
守衛のおっちゃんと対応してくれたおばちゃんが自信満々にそう言ってたので、間違いではないだろう。



とりあえず、時間も時間なので飯を食ってから夜の街に繰り出すことにした。

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 〇カンボジアで天使に出会った話
 

 

 

 

 

  

 

 

  
 
 
 


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ライバルが引退した。




勝手に俺がライバル視してただけなのは誰もが知っているが、年間スパン数の数字はずっと彼の年間安打数を意識して記録をつけ続けていたものだった。
それだけに、一つの時代が終わったと感じる部分があり、俺がスパン王子などと呼ばれていることもそろそろ忘れ去られて良い頃なのだろうと思いながら、これまでのスパン人生について振り返る時間を作ってみた。


過去記事に記録してある数字をみると、2012~2016の5年間だけが記録として残っているだけだった。

2012年累計スパン結果: 273スパン(2012/12/26)
2013年累計スパン結果: 242スパン(2013/12/30)
2014年累計スパン結果: 262スパン(2014/12/31)  
2015年累計スパン結果: 395スパン(2015/12/31)  
2016年累計スパン結果: 288スパン(2016/10/25) 

それまでも平均して200スパンはしてきただろうが、一番狂っていたのはダブルスコアに迫ろうかという2014年だろう。
2008年からスタートした「おれたこ」だが、総投稿数は1,000回を超えており、確かな記録として残っているこの5年間だけでも273+242+262+395+288=1,460スパンとなっており、2008年はともかく、2009~2011年のマカオ狂い期間と、2017~2018年のベトナム・フィリピン・タイ巡り+本拠地である香港でのスパン三昧を考慮すると、これらの期間も平均して200スパンは固いと断言できるため、ざっくり10年間で、






2,500スパン






してきたことになる。(※推定値)
特に香港に来た当初のマカオ狂い期間では、高級車が買えるほどの費用を投じてスパンしまくっていたのと、第二の我が家とも言える拠点があり、そこでマカオ滞在中は連日連夜スパンしまくっていたのでおそらく200スパンどころの騒ぎではないのだが、面倒なので200スパンちょっととしておく。
思い返せば、まだサウナ遊びのコストも安く済んでいたあの頃は、1日に3軒のサウナをハシゴしたり、平日の終業後にフェリーに飛び乗ってサウナ嬢の自宅に潜り込み、さんざんスパンした挙句に朝一のフェリーに飛び乗ってそのまま出勤するなど、色々無茶をした。

一言で言えば、「ただの変態」なのだが、あれはあれで楽しく貴重な経験を積めたと思っている。



この10年という時間の中で、俺のブログにも様々な変化があった。
ブログを始めた当初は「ボスの迷言を記録に残そう」という気持ちが強く、他愛のない身の回りに起きている「ちょっと面白い事」を書き綴った日記のようなものでしかなかった。

初回の投稿は、まさにそれを説明している導入記事になるわけだが、書いた本人である俺が今読み返してみても、書いてある事が世間一般の常識と照らし合わせて「普通ではない」という事ぐらいは分かる。


タイトルの由来について知りたい人は、ぜひ初回の投稿を読んでもらいたい。

■俺のたこ焼きが食えんのか!


そんな俺に身辺に変化が起き始めたのが、2008年の後半だろうか。
ボスの知り合いのフィリピン大好きO氏との出会いから、毎晩のように香港の盛り場で飲み歩く生活が始まった。海外での遊び方を知らない俺に、外国人のノリを教えてくれたのは紛れもなくO氏だったが、俺は彼と一緒に飲み歩いている内に香港でもれなく外国人のオネーサン達を持ち帰る事が出来るバーの存在を知り、香港で初めて持ち帰ったのがフィリピン人だったという事は覚えている。
当時、会社の寮として使用していた2LDKの部屋で、隣の部屋に同僚が寝ているにも関わらず、酔っ払った俺はフィリピン女性と帰宅し、夜中に激しくスパンスパンしたという伝説は、今でも時折社内で話題になる事がある。


■O氏初登場記事


その後、タンク将軍という千葉の大地主がボスの元を訪れる事になったということで、ボスが「こんな金持ちは盛大に接待せんとあかん。俺は用が有って対応出来ないから、お前がさも「マカオの達人」という体で金持ちのご一行をマカオに案内し、満足させてくるんだ。」と俺に言った事が、その後のマカオ通いの発端となる。


■マカオ通いの発端


その後は、マカオからさらに足を延ばして珠海で遊ぶようになり、珠海でも様々な遊びを経験した。
2011年半ばの記事では、スパンの為に毎月5万円程度を使っていたと記録した記録がある。
この時点で、


最多スパン回数記録(日): 9回

最多スパン回数記録(週): 18回

厉害率(2011年度):
 香港人: 100%
 中国人: 97%
 台湾人: 50%
 タイ人: 100%
 ベトナム人: 100%
 日本人: 100%

(※厲害率とは、スパンを絶賛された割合のことである)


という、バカみたいな記録を残している。
1日当たりの最多スパン数9回というのは、当時一緒にマカオで遊んでいた悪友が、俺にバイアグラ半片を飲ませたせいで、ただでさえ異常に勃起する俺のポンチが鎮まらなくなってしまった事件によるものだ。


■2011年9月19日(月)現在-まとめ


この時点で中国(CP)、常平(チャンピン)という土地にも足繁く通っていた。
この頃からあの一斉取り締まりが行われる2013年2月までの間、週末となるとマカオに行くか常平に行くか、はたまたタイや台湾に行くかという、非常に下半身的多忙な時期を過ごしていた。
この時期は行く先々に「行けばスパン出来る」という女子が11人いたため、寄港先それぞれに彼女がいる船乗りさながらに、彼女たちに会う為の旅を続けていた。


■スパンネットワーク分布考察
→ http://www.oretako.com/archives/1000034270.html


しかし、マカオのサウナ遊びの価格が高騰し、常平も摘発によって壊滅したことによって、俺は必然的に次のスパン場所としてタイを選ぶしかなくなっていた。
2013年2月時点でのタイについて、俺はこんな風にまとめていた。


■スパン指数考察2013年度版-タイ


この頃、タイに特定の彼女が出来た事もあり、タイには毎月のように足を運ぶようになっていたのだが、この年の夏にツイッター(https://twitter.com/prince_spanspan)で絡んでいたスパンヤオの面々とタイで初の対面を果たすことになり、ここから俺のスパン人生が一気に広がっていった。
今でもその当時のスパンヤオとは交流があるが、様々な理由で疎遠になってしまっている人もいる一方で、事あるごとに一緒に遊んでいる非常に近しい人もいるので、こればかりは相性やタイミングとしか言いようがない。

しかし、これらスパンヤオとの出会いによって、夜遊び情報網が一気に広がり、そこからはタイ、ベトナム、フィリピンへと手を広げて、今やそれらは俺が頻繁に遊びに行くエリアとなった。



スパンヤオとの出会いを経て、アジア界隈で遊びまくった俺は、そのうちに手近なところで済ませるようになってきた。
海外へ行くのは金も時間もかかる上に、事前に約束していた子と現地で確実に会えるという保証はない。
特にタイでは、友達の誕生日だとか、急に田舎に帰るようになったとか、様々な事件が突発的に発生して会えなくなる確率もまぁまぁあるので、40時間程度の滞在の為だけに飛行機に乗って弾丸旅行をするというのも少し割に合わない気がしてきた。

で、俺が2015年ぐらいから俺がとった行動は、香港で遊ぶことだった。
香港にいる香港人はもちろん、香港に来ているタイ人やベトナム人、そして香港で働いているフィリピン人やインドネシア人など、冷静に周りを見渡せばいくらでも遊んでくれる女性がいる事に気付き、中には俺の想像の斜め上をいくド淫乱な女子もいたりするので、それはそれで開拓していく楽しみがあった。
ただ、この狭い香港の中でうまくそれらに対応していくにはいくつか注意すべき点があるのと、どうしても週末に偏りがちなので週末が無駄に忙しくなってしまうなどのデメリットもあるので、一般的にはお勧め出来ない手法であることは間違いない。
とはいえ、今もそれは続いており、常時10人ぐらいは遊んでくれる女性がいるので、香港でスパンするという事に関しては何ら事欠かない状況を維持出来ている。


さて、ここまで振り返ってきてなんだが、とりあえず俺は引退しない


俺のポンチが某ノビさん(https://twitter.com/soi_nb)のようにインポになってしまったのなら、それは俺のスパン人生の終わりを意味するだろうが、ところがどっこい俺のポンチは未だに元気なままである。
とは言っても、俺も40を過ぎてきて、全盛期に比べると激しく性力が減衰したのは否めず、今や1日3スパンもすれば満足してしまう。


ポンチが折れるその日まで、俺は今後も腰を振り続けるだろう。


 

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