【スパンツアー】たびなう・吾郎のマカオ〜深圳ぶらり旅⑩
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前回の裏筋
初対面で緊張している嬢との対面。
この一瞬がその後のスパンを左右する。
この一瞬がその後のスパンを左右する。
■【スパンツアー】たびなう・吾郎のマカオ〜深圳ぶらり旅⑨
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心を開かせて股を開かせる為に、恋をする男。
それがスパンスパン王子である。
別の言い方をすれば、グッドスパンは恋の延長線上にあるとも言い切れる。
よく「俺は愛の無いセックスはしない」とおっしゃられる御仁にお会いするが、愛の無いその行為は、ふにっこさんも言っているように「粘膜の摺り合わせ」であり、「お互いの身体を使った自慰行為」でしかない。
もちろん、俺も摺り合わせが大好きなので、時と場合によっては愛をすっ飛ばして粘膜の摺り合わせにいそしむ事もあるのだが、それは終わった後にどことなくバツの悪い空気を漂わせるもので、強いて言うなればオナニーを終えた後にそのゴミを片づけている時の空しさに近い。
どうせするのならば、お互いに楽しくて気持ちいい方が良いに決まっている。
例外的にそれで商売をなされている方に限って言うと、「何でもいいから早く終わってくれ」という事もあるだろうが、気持ち良い思いをしたいという想いから快楽の為にセックスをする側の人間からしてみると、
「あなたとセックス出来て良かった」
と爽やかに言いたいのである。
香港の141であろうがタイのMPであろうが、気持ち良いセックスが出来た時にはきちんと感謝するようにしている。
同じお金を払ってセックスをするにしても、「サービスが悪かった」とか「マグロだった」とか言って不愉快な気持ちで帰るよりも、「この子に出会えて良かった」と思って家路についた方が幸せなはずである。
そして、その為に恋をする。
恋多き男と言われるのかも知れないが、愛を持って接する事は決して悪い事では無いはずであると信じている。
愛にもレベルがあり、その質は様々な形を持っている。
囁くような愛
溺れるような愛
引きずり込むような愛
など、相手と自分の愛情の深さによってその形は千差万別であり、いつでも柔軟に変化する為、愛の形に拘っている暇など無いのだ。
最近、コマネチ女史のような愛の形に拘りすぎて本質が見えなくなってしまった女性から「愛のあるべき姿」について意見を求められるが、
自分が相手を想う気持ちがあれば、それが愛
だと答えている。
その上で相手の気持ちの全てを自分一人に向けさせようなどと考えてはいけないと付け加えている。
愛する事、愛している事が相手に伝われば、それは自ずと受け入れられて自分に返ってくるものであり、最初から何かを得ようとして愛を与えようとするのであれば、それは傲慢であり、利己的である為に必ずうまくいかないだろう。
愛は時に言葉であり、行動であり、金である。
俺は金の代わりに言葉と行動で愛を示し、愛を伝える。
そしてその愛が高まった時に、それは最高のスパンとなって俺に幸せをもたらしてくれる。
金で愛の一部は買える。
金がある奴は金を使えばいい。
金の無い奴はその分言葉を使い、より多く行動を起こして、愛を伝えなければならない。
俺に金が無いからというわけではないが、俺はなるべくなら金を使わずに最高のスパンに出会いたいと考えている。
そして、その為には言葉や行動、つまり時間という対価を払って俺は女性と接するのだ。
そして、スパンの際にも同じように言葉や行動で相手に対しての愛情の深さを示す事、これが最高のスパンへの第一歩となる。
2014年累計スパン結果: 127スパン(2014/7/25)
2014年累計スパン結果: 127スパン(2014/7/25)