【中国武漢編~序章 その1~】 なぜ武漢を選んだのか
2016年3月25日~28日は、香港では復活節の名の休日と繋がる4連休だった。
連休の少ない香港のカレンダーにおいて、4日連続の休日はレアであり、俺はそのような連休には必ずと言っていい程タイへ行っていた。
しかし、今回は直前にタイに行ったばかりだった為に、台湾へ行こうかと考えていたのでタイ行きのチケットを予約せず、台湾に住む美人CAと予定の調整に時間を費やしていた。
以下、台湾美女イメージ(※注 あくまでもイメージ)

こんな子たちがわんさかいる台湾。
まさにパラダイスと呼べる場所である。(※実際にはブスもかなりいる。)
以下、台湾美女イメージ(※注 あくまでもイメージ)





こんな子たちがわんさかいる台湾。
まさにパラダイスと呼べる場所である。(※実際にはブスもかなりいる。)
すると、
ごめんなさい、予定が合わなくなりました。
と連絡があり、急きょ台湾行きを断念。
いや、実は美人CAに会えなくても台湾へ行っても良かった。
台北に行って元カノ(美人)に会い、夜市やクラブを巡ってのんびり過ごすのも良いし、過去にスパンした嬢に連絡を取ってまたスパンさせてもらおうなどとと考えいた。
が、俺の脳裏にとあるキーワードが浮かんだ。
武漢
なぜ武漢だったのか、それは中国の元カノが湖北出身であり、過去に武漢に行こうと誘われた事があり、武漢という場所についてそれなりに調べて以降、何となく武漢へ行ってみたいという燻りのような感覚が俺の頭の片隅にこびりついていた。
そして、湖北省には「赤壁」という三国志好きにはたまらない場所があり、俺の中では「死ぬ前に一度は行ってみたい場所」の一つであった。
この時点で、俺の中の意識が一気に武漢へと傾いた。
そして、俺の旅行目的の要素の中で「観光」の優先度が上がり、俺は武漢の観光スポットに関する情報と赤壁への行き方を調べ始めた。
赤壁 > スパン
俺の思考メカニズムから算出される結論として、このパターンは非常に珍しい。
何につけてもスパンが優先される旅行ばかりをしてきたここ5年では、出張で行ったイタリアぐらいしかノースパンの旅行は無かったのだが、今回はスパン情報よりも先に観光情報を検索し始め、いくつか見ておきたい場所をピックアップするした。
・黄鶴楼
・旧租界
・長江
・長江大橋
・赤壁
・・・少ない。
俺自身がそう思う程に、ピックアップした観光地のリストが少ない。
地図を見てこれらのスポットがどこにあるのかを確認しながらルートを練るも、赤壁以外は下手すると1日で周れてしまう。
武漢とは見るところが少ないただの都市なのか?
いや、実はあるにはある。
武漢は、古く殷代の都市遺跡として知られており、俺が大好きな三国志の時代には江夏と呼ばれいた都市である。
そして、近代では1911年に武昌放棄が起こり、その後の辛亥革命へと続いた歴史の中心地だった。
そんな辛亥革命に関する展示を行っている辛亥革命博物館もある。
しかし、共産党支配下の現在の中国にとって、辛亥革命は清朝による圧政を覆したクーデターの歴史であり、それが現在の共産党支配に対しても繰り返される事を警戒している事から、辛亥革命や辛亥革命の英雄である孫文に関する展示は歪曲されており、正しい歴史を伝えようとしていない為、見る価値が無いと判断した。
現在の支配者である共産党にとっては、あくまで毛沢東が英雄でなければいけない。
武漢には毛沢東の旧別荘という近代中国の歴史を追いかける事が出来る場所もあるのだが、ぶっちゃけ共産党が大嫌いな俺としてはそんなところを見に行く意味も無いし、意義すら感じられない。
という事で、その手のスポットは全て外した。
こうして、スケジュールに余裕が出てきてしまった。
2016年累計スパン結果: 78スパン(2016/3/31)